フィッシュマンズがいたころのはなし

毎度毎度の事ですがフィッシュマンズを大音量で聴くだけのイベント「フィッシュマンズナイト大阪」が今週末の3月20日にあります。
僕がこのイベントに関わって17年になろうとしています。始めた当時は大学生だった僕も、今では佐藤伸治よりも年上になりました。
fishmansnight.net

2010年に縁があって、「公式版すばらしいフィッシュマンズの本」という書籍の中で「fishmansnight主催者の語る『I'M FISH』」という文で寄稿したことがありました。
その当時の原稿が手元にあったので、リライトして2016年度版としてまとめてみたいと思います。この記事をきっかけに遊びに来てくれる人がいたら嬉しいです。

fishmansnight主催者の語る『I'M FISH』改

フィッシュマンズが活動していた頃の事

僕が最初にfishmansを知ったのは、94年に”go go around this world!”と”melody”というマキシシングルが立て続けにリリースされたあたりで、高校生になったぐらいの頃だったと思います。

FISHMANS MELODY

その後、アルバム”orange”で完全にハマり、「空中キャンプ」がリリースされた頃あたりでライブにも行くようになりました。

当時は名古屋に住んでいたので、日比谷の野音で行われた「闘魂」 や、ペイヴメントの対バンで「ロングシーズン」1曲をやりきったステージなど、今もファンの間で語り継がれる伝説的なライブには行けませんでしたが、地元に来た際には必ず行っていました。


SNSどころかネットすら普及していなかった当時、自分の趣味とあう友達を見つける事はとても難しいことでした。
周囲のリアルな繋がりの中にフィッシュマンズを聞く友人はいなくて、ライブにも一人で行くのが当たり前。ネットで情報収集したり、他のファンとやりとりするようになったのは大学生になってからでした。
モニタを通じた交流*1を少しずつするようになりましたが、昔はネットとリアルの境界線が今よりも色濃くて、実際に会う機会はほとんどありませんでした。

フィッシュマンズのライブは、とにかく音が良くて、ひたすら踊れるライブでした。
オーディエンスも多種多様で、佐藤さんのコスプレをしたような男の子や普通のOLっぽい女性から、クラブに入り浸っていそうな人や気合の入ったドレッドヘアの人までいて、フィッシュマンズの音楽性の豊かさがそのまま投影された客層でした。僕も毎回一人で行っては、ひたすら踊り別にモッシュがあるわけでもないのに、ライブが終わる頃には汗だくになっていました*2

オリジナルメンバー3人にダーツ関口とHONZIという最終形にして最強の編成になってからのライブは凄みを増し、ライブで見たロングシーズンは、今でも忘れられません。早逝したことで佐藤さんは神格化されたような感じもありますが、当時のファンは彼を「サトちゃん」と呼び、ライブでは黄色い声が飛ぶこともありました。

fishmans Long Season

Fishmans-土曜日の夜

その後、ベースの柏原さんが脱退し二人きりになり、次はいったいどんな曲を出すのだろうと楽しみにしていましたが、結局3人編成で出したライブアルバムと、「ゆらめき in the air」という10分を超えるシングルが最後の作品になってしまいました。

Fishmans - ゆらめき In the Air (Yurameki in the Air)

佐藤さんが亡くなってから

99年3月15日にオフィシャルサイトで佐藤さんが亡くなったことが公表されたことを知った時、言いようのない悲しみが溢れているのに、分かち合う先が全く無かったことに絶望しました。空いている時間はひたすら大学のPCルームでオフィシャルサイトの掲示板やチャットにかじりついていた気がします。

2週間後ぐらいして、吉祥寺のスターパインズカフェで最初のfishmans nightがありました。それをきっかけにして、ファンが運営するメーリングリスト等で「大阪でもフィッシュマンズナイトをやろう」という声が上がりました。
当時、大学生だった私もその末席に加えて頂く形で主催者に連絡をとり、同じ年の7月に大阪に最初の”fishmans night Osaka”が難波にあるカフェブルーで行われました。
当初は1回だけという話だったのですが、自分を含めた数人で翌年に再びフィッシュマンズナイトを企画し、それ以降、現在にいたるまで年に1回ずつ続けています。

始めてから数年は50人ぐらいお客さんが入ればよかった感じでしたが、フィッシュマンズが活動再開した2005年をきっかけに、お客さんが一気に増え、今はまた少し減って落ち着いてきた感じです(ので是非遊びに来て欲しいです)

イベントと並行して2000年に「ランデブー」という映画の主題歌で「ナイトクルージング」が使われ、大阪での上映記念のイベントには仲間の何人かがDJとして参加したり、2006年にはフィッシュマンズの1stをプロデュースしたこだま和文さん率いるKODAMA and THE DUB STATION BANDと一緒にイベントが出来た事もいい思い出です。

2006年から2015年まで会場に使っていたシャングリラをにも思い入れがあります。
このライブハウスの初代マネージャーは、その昔梅田のはずれでシングルスというバーを経営していました。
月に1回、フィッシュマンズだけをかける日があり、フィッシュマンズナイトで知り合った友達と何度か遊びにいきました。
現在では日替わりマスター制という形で共同運営されているようですが、小さなバーで見知らぬ人たちと肩を寄せ合ってフィッシュマンズを共有できたことは、孤独な音楽体験をしていた高校生の頃のことを思うと素晴らしい体験でした。

今でもさまざまな土地でフィッシュマンズナイトが行われるようになり、国内だけでなく、韓国でも行われるようになるなど、活動休止から10年が経ってもファンによるイベントが続いているアーティストも珍しいと思います。

フィッシュマンズナイトを続けてきて

フィッシュマンズが活動していた当時、大学生が中心だったDJ陣はみんな社会人になり、所帯をもつようになった人も少なくありません。しかし、イベントに来るお客さんを見渡してみると、自分と同じ世代の人達よりも、20代の人達の方が遥かに多いのです。特に前述の2005年以降、その傾向がさらに強くなった印象があります。
単に当時リアルタイムに聴いていた30代以降のファンがイベントに来ないというのもありますが、それ以上に活動休止以降の各メンバーの活躍や、若いミュージシャンがフィッシュマンズに影響を受けた事を公言することで、あらためてフィッシュマンズが再評価され、活動当時は小学生だったような、若い層に支持されていることを強く実感しています。
ただ、そういった活動停止以降にファンになった人達と話していると、写真や動画でしかフィッシュマンズを見ることが出来なかったという話が多く、その話しぶりから佐藤さんが歴史の中の人になってしまった感じがして、少し寂しい気持ちもあります。


佐藤さんが亡くなったことをきっかけに聴くことをやめた人もいれば、逆にのめりこんでいった人もいますが、僕とフィッシュマンズの距離はあまり変わりません。

一時期の流行の中にある音楽であれば、「懐メロ」的な枠の中に収まっていったかもしれませんが、彼らの音楽は流行の枠にはまる事を拒み、かといってスタンダード的なポジションに行くことも無く、今でも「今、鳴り響く歌」として存在する力を持っていると思います。
そういった普遍的な魅力を感じてはいる一方で、再結成以降の佐藤さん抜きで行われるライブについては、見るたびに嫌でも佐藤さんの不在が気になってしまい、早々に行くのをやめました。どうしてもあの当時のフロアの熱気と今の不在のコントラストが強すぎて、見るたびに消化不良を起こしてしまうのです。

再結成以降のライブと同様にフィッシュマンズナイトも佐藤伸治の不在を強調させる装置になっているかもしれません。ただ、そうであったとしても、聴いていた時期や環境に関係なく、フィッシュマンズに感謝を表したいし、自分も含め、今でも大きな音でフィッシュマンズを聴きたい人がいる限り、フィッシュマンズナイトは続けていきたいと思っています。
(了)


Fishmans - ひこうき

*1:携帯電話でネットができるようになるのは、もう少し先でした

*2:今ではフロアの後ろで、もたれられる楽なポジションを探すようになりましたが