夕方の手前


子どもが生まれた時の記録。



朝、小倉に帰省中の妻からの「陣痛が始まった」というメールを見て、急いで準備をして昼過ぎの飛行機に乗った。
福岡空港に着いて携帯の電源をつけたら、既に子どもは生まれたというメールが妻本人から来ていた。新幹線で小倉まで行き、そこからモノレールに乗って産婦人科に向かう。
初めて会った娘は体重が少ないとかで保育器の中に入れられていた。


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子どもはガリガリの体で泣いては寝、泣いては寝を繰り返していた。そういえば自分の生まれたときの写真もガリガリに痩せてて、肌の色も浅黒い感じだったことを思い出した。
それでも子どもが流す涙はとても美しく、どんな高価な酒よりも尊い、できるなら吸いとってあげたいとすら思うほど。

初産を終えた妻は全身筋肉痛のような状態で、一人で起きることすらままならない状況だった。
早朝から妻の出産の世話をした義父母も疲労困憊といった感じだったので、その日は一緒に食事をすることなく、ネットで見つけた大衆居酒屋で飲んでさっさとホテルで寝た。


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翌朝、雨の日の競馬場をふと見たくなって、病院に行く途中にある小倉競馬場に寄った。




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広くてきれいな馬券売り場はあまり賑わってはいなかったが、新聞紙を馬券売り場の床に広げて牛丼を食いながら競馬新聞を読む夫婦や、キャンプ用の椅子とテーブルをセットしている人、中学生ぐらいの息子とレースを観ている母親など、ずっと前から毎週日曜はここで過ごすといった感じで競馬に興じている人たちがいた。
額がかなり後退した頭に雑な金髪のおっさんが床に競馬新聞を広げている横で、楽しそうでもなく退屈でもない感じの表情で携帯電話をいじっている中学生ぐらいの女の子を眺めながら、娘のことをぼんやりと考えていた。




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子どもは授乳の時以外は保育器の中に預けられていたが、助産師の計らいでおむつを代えさせてもらったり抱かせてもらったりした。
妻の体調も日が経つに連れてよくなり、TwitterFacebookに寄せられたお祝いのコメントを見たり、東京に戻った後の生活のことを話しあうなどして、昼間は病院で過ごした。

夜は福岡に住む友達と飲んだり、義父母と近所の居酒屋で飲んだりした。
癌の治療をしている義父は頬が痩せ黒々と生えていた髪は抜けたが、周囲が驚くほど快方に進んでいて、一緒に食事をした日も焼酎のお湯割りを片手に饒舌だった。



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最終日はそれまでの緊張が途切れたせいか、人生初のギックリ腰になってしまい、色々な予定をすっ飛ばして、義父の運転する車で近所の外科で応急処置をしてもらった後、そのまま小倉駅まで送ってもらい早々に博多空港へ移動して、満員電車に心の中で悲鳴をあげつつ東京の自宅に戻った。
空港の職員が気を遣い車椅子に乗せてくれて、羽田に着いた後も飛行機の出入口から電車の改札前まで車椅子で送ってくれた。
無理の利かない自分の体を情けなく思い、年齢以上に年齢をとったような気になった。
腰が治ったら体を鍛えて、夏ごろ東京に帰ってくる妻と子を迎えようと心に決めた。


飛行機の窓の外の景色を見て、自分の人生を一日に例えると、今は夕方の手前あたりなのかなと思った。
でも、できればあと20年ぐらいはずっと夕方の手前でいて欲しい。




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