台北、台南、高雄

10月に6日間ほど台湾に行ってきた。
平日夕方の便で成田からLCCで桃園空港へ飛び、台北のホテルに着いたのは23時過ぎ。
ホテルに荷物をおいて、ロビーでまだ開いてる店がないか尋ねる。




真っ暗な通りを歩くと、その一角だけが灯りがついている店がある。入り口には食材やサンプルメニューが並び、僕らがそれらを指差して調理方法を英語と日本語のミックスで指定する。
客は僕らのような観光客以外にも、地元の人が瓶ビールを飲みながら料理をつまんでいたりして、その適度な客の入り具合に妙な安心感を覚えた。



酔い止めの睡眠成分で飛行機ではひたすら寝ていた5歳の娘は夜中なのに愛想よく、お店の人からジュースやラムネをもらって上機嫌だった。





台風が中国と台湾の中間にあったこともあり、天気が心配だったが旅行中は最高の天気に恵まれた。
中国の深センにいた仕事仲間からは台風で身動きが取れないと愚痴るメールが来ていたのが申し訳ないほどの好天。
2日目は東京の友人達と落ちあい、3年前に初めて台北に来た時に偶然見つけた店に集まり、鶏料理に舌鼓を打った。
その後でUberで閉店ギリギリの台北101に行き、台湾の夜景を眺めた。



台湾の弁当はご飯の上に食べごたえのある肉類のおかずが箱からはみ出そうな勢いで乗っかり、豆腐や野菜の副菜が脇を固める。200円から300円で買える弁当は、台湾旅行のささやかな楽しみだ。
昼時になると駅の端に座って弁当をかきこんでいる地元の人を見かける。台北の玄関口、台北駅の中央にある吹き抜けの辺りは普通の人もホームレスも床に座ってしゃべっていたり、お菓子を食べていたりするが、駅は汚れてはいない。ここには寛容さと公共心が共存している。

台南





台北から新幹線で2時間弱、台南は10月でも気温が30度を超える。




台北のような小奇麗さは無く、むしろベトナムホーチミンのような雰囲気だったが、ウンザリするほどしつこいタクシーの客引きは一切なく、料理は基本的に甘口の味付けだ。それを軽いビールで流し込む。







温かい街の夜は賑やかだ。夜の台南は台北よりも雑然としていて、それが旅の雰囲気を盛り上げる。
道端では寿司の屋台が出ていたり、古い建物をリノベーションして若い人たちがバーやレストランを開いていた。水果店と呼ばれれるフルーツの盛り合わせやかき氷を出す店は昼も夜も繁盛していて、屈強な身体をしたおじさんが切ったメロンの上に南国のフルーツやアイスを乗せたデザートは南国に来たことを実感させる味だった。








台南最大の夜市「花園夜市」は街中にある台北の夜市と違い、少し中心地から離れただだっ広い空き地に露店が所狭しと並ぶ。
屋台は飲食だけでなく服やアクセサリーの屋台にiPhoneの修理やデコレーション専門の屋台もある。会場の奥にはピンボールやビンゴ、的当てといった昔ながらのアナログなゲームの屋台がひしめき、大人から子供までゲームに興じている。子供の頃の縁日の思い出に合い通じるものがあった。

週末に巨大モールへ行くように、台南には日常の中に夜市がある。

高雄

半日の日帰りだが高雄にも足をのばして行ってみた。
午前中に台南の遺跡を見た後、駅前で弁当を買って自強号という特急電車に乗る。


高雄には30分程度で着く。暑さは台南とさほど変わらない。




Uberで港のほうへ向かい、町工場や鎖や碇の店が集まったエリアを歩く。どの街にも寂れたゾーンを狙って嗅覚の鋭い若者が店を出す。
高雄も他聞にもれずアンティークショップや日本の古き良き喫茶店を意識したカフェが裏通りにあり、わざわざ東京から来ているというのに世田谷にありそうなカフェに入り、東京以上に美味しいコーヒーを飲んだ。台湾はロースターの腕がよく、世界一のロースターは台北にいるらしい。




カフェを出て公園に向かって散歩すると、だだっ広い空き地が見えた。
そこではシャボン玉を飛ばす人、ゲイラカイトを飛ばす人、芝生に寝転んでのんびりと過ごす人など、今まで台湾で見たことがなかった光景が広がっていた。
特殊な道具を使って、あり得ない量のシャボン玉を飛ばす若者は爆竹が好きな中華圏らしさはあったが、異国でしか味わえない多幸感に支配された光景に僕らは完全に参ってしまった。
予想だにしなかった光景は、再び高雄に行く動機にするには十分だったし、台南に帰る電車の中では既に次回の旅行は高雄空港から始めようと考えているぐらいに気に入った。

こうして僕らは強いシンパシーと共に台湾が好きになる理由をまた1つ増やした。

高雄から台南に帰る途中で見かけた4人家族のバイクを見て、この子達は親に抱かれてバイクに乗った時のことを思い出すんだろうか、親は自分の死が近づいた時に暖かな街を1つのバイクでくっつきあって走ったことのことを思い出すのだろうかと考えると同時に、自分にとってのそういった瞬間は何なのか考えていた。