ウェブにアーカイブされ続ける廃墟「ワンダーランド」

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大変ご無沙汰しています。仕事で金沢に出張したついでに福井に寄って、前々から気になっていた場所に行ってみました。



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福井県坂井市、日本海と平行に国道305号線を西に進むと右手にアミューズメントパークが見えてくる。
しかし、100台以上駐車可能な広大な駐車場を車が埋め尽くすことはなく、敷地内はひっそりと静まり返っている。



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遊園地の名前は「ワンダーランド」。
どこにでもありそうな小さな遊園地は約30年前に地元企業によって開業したが、過去3度の事故が原因で施設の大半に使用禁止処分が下されたという記録が残っている。
現在では敷地内に大量の瓦礫と、錆びついた設備が残されたままだが、セグウェイの運転と、グラウンドゴルフが利用できる。


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通常、廃墟となった施設は立入禁止が常だが、ワンダーランドは細々と運営を続けているため、施設内への立ち入りが可能だ。
※もちろん、場所によっては危険な箇所や立ち入りできない場所もある。施設内には常駐のスタッフがいないため、ウェブサイトに掲載されている問い合わせ先に詳細を確認されたい。今回の撮影も事前に問い合わせ確認の上、行っています。f:id:vanishingview:20180702182735j:plain
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唯一まともに整備されているグラウンドゴルフ場。この青々とした芝生も営業停止になれば、雑草が生い茂る空き地になるのだろうと想像せざるをえない。

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かつてインラインスケートが利用できたからなのか、シューズが片方だけ放置されていた。

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かつてサバイバルゲーム場として運営されていた時期もあったらしく、地面には大量のBB弾が散乱していていた。



ワンダーランドに訪れるのはグラウンドゴルフに興じる地元のお年寄りと、本来の目的とは異なるアミューズメント要素に魅了された私のような人間しかいないようだ。
私が訪れた日は7,8人の老人がグラウンドゴルフに興じていた。撮影していると激しい雨が降りはじめた。適当な屋根の下で雨が止むのを待っていたら、彼らはタクシーを電話で呼び、早々に去っていった。
程なくして雨が止むと国道を走る車の走行音だけが遠くから聞こえるだけで、遊園地とは程遠い時間が流れていた。

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ゴミ捨て場となったプール。脇にあるロッカーにはBGMに使われていたのだろうか、アンパンマンのCDがホコリを被った状態で捨てられていた


ウェブサイトに残された在りし日の映像を見た後に、今の様子を自分の目で見ると、なんとも言えない気持ちになる。

かつての様子



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2018年6月時点の様子

今もかろうじて運営されていることもあり、YouTubeやTwitter等に投稿が絶えないのもワンダーランドの面白い点だ。ウェブにアーカイブされ続ける廃墟こと「ワンダーランド」。
興味のある人は入場可能なうちに行くことをおすすめしたい。
全てが吹きっさらし、雨ざらしなので、あなたが来る頃には僕が見た景色とは若干違う状態になっているだろう。


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行き場を失ったかのように見えるダチョウ


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大人の事情


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130枚分回数券に投げやり感を感じる

wonderland.vc

素人がwebメディアを立ち上げて4年が経った結果、退職することにした

表立って自分の仕事についてwebで書くことは無かったけど、2013年10月からfabcrossというメディアの立ち上げから現在まで携わり、ちょうど4年が経ちました。
来年で40歳になるというタイミングで、運営会社であるメイテック*1を、10月末をもって退職しました。
11月からはフリーランスの編集者、プランナーとして、DMM.make AKIBAの運営に関わったり、古巣のfabcrossも含めたweb媒体に関わっていきます。

fabcrossは製造業向けの技術者派遣などの人材ソリューションを提供しているメイテックが運営するテックメディアです。
主にメイカーズムーヴメントに代表される個人のモノづくりや、ハードウェア・ベンチャーと、そのエコシステムにフォーカスした情報を提供しています。
twitterfacebookのタイムラインで以下の記事を見たことがあるかもしれません。
fabcross.jp
fabcross.jp
fabcross.jp
fabcross.jp
fabcross.jp


月間30~40万PV、SNSのフォロワーもtwitterfacebookの合算で約3万(いずれも執筆時点)という小粒メディアですが、平日は毎日更新し社内での運営担当は実質私一人だったので暇だった日は一日も無く、日々の反響に一喜一憂していたら4年の月日が経っていました。

ざっくり4年間を振り返ってみたいと思います。
立ち上げ

  • 社内の紆余曲折を経てメディアを始めることにしたがノウハウも人脈も無く、インターネットの世界では東証一部上場・創業40年というブランドも全く無意味。あるのは限られた予算とローンチ日までのスケジュールだけだった。公私のツテを辿って編集者やライターを紹介してもらったり、メディア運営のサイクルやギャラの相場、取材のお作法などひたすら聞いて回った。
  • この時から手伝ってくれたり、アドバイスしてくれた人のおかげで今まで潰れずにやれて来れたと思う。誰も見ていないメディアという無価値な存在に協力してくれた人たちには、今も頭が上がらない。
  • 予算の都合と人脈の無さからライターもやらざるを得なくなり、サイトの予算・数値管理から計画、実行、社内外の調整から日々の取材まで概ね1人でやるようになるが、アクセス数はなかなか伸びない。「大の大人が必死になってやってるのに、この程度か」とうなだれる日々がしばらく続いた。今見たら初月のアクセス数は、今の一日のアクセス数以下だった。このグラフだけで泣ける。
  • とはいえ、当時のメイカー・ムーブメントや3Dプリンターブームの追い風を受けて、トークイベントをやったら100人以上集まるなど少しずつ成果は出ていた。
  • ただ、それでもキツいなぁと思うことの方が圧倒的に多かった。愚痴をこぼしても何かが解決するわけではないので、とにかくいろんなイベントに顔を出しては名刺を配り、人から人へ紹介を受けてメディアの説明をしていた。
  • 上からのプレッシャーも来る中、「何か突き抜けたことをやらないと」ということで企画会議。GoProを括り付けたヘリウム風船で空撮をしている人がいる事を知り、子どもの日ネタの企画を打診したところやってくれることになった。北海道での打ち上げや機体製作費、ロケ費など通常の記事数本分の予算をかけたので、これがスベったらヤバいなぁと思いながら北海道に飛び記事を書いた。結果的にこの記事がそこそこバズり、首の皮一枚のところでメディアも継続することになる。ちなみに機体を制作してくれた岩谷さんは数年後に情熱大陸に出て、いまや大手クライアントから引く手あまたのクリエイターになった。

1年目~2年目

  • ローンチから1年を過ぎ、月間PV数が10万を超えたあたりから業界に認知されるようになり、取材の相談やリリース前の商品の紹介などが来るようになった。ようやくメディアらしくなってくる。
  • この頃からまじめなインタビューやニュースと、ネタ系の工作を意識的に混ぜて掲載することにした。ニッチである分、情報も対象ユーザーにも限りがあるので、話題を生みやすいネタから誘導して、その他の記事も見てもらおうという狙いだったが今のところ狙い通り機能している。
  • まじめな方面では企業や行政から声がかかるようになる。広報活動できるチャンスがあれば、とにかく講演やイベント登壇など全部やったし、来る案内は自分の身体が空く限り対応した。この頃の人脈が今も財産になっているので、ネットワーキングは本当に重要。
  • イカースペース(ファブ施設)を紹介する企画をやってきたので、全国各地の施設を調べて記事にしたところ、メイカースペースに強い奴がいるとのことで年に数回、大手メディアから取材を受けたり、講演を依頼されるようになった。こうした外部評価は役員受けが良いので、積極的に受けて小さい内容でも役員にレポートした。公開したグラフやデータはいろんな所で使われているようで、メイカースペースを立ち上げた企業担当者から何度かお礼を言われたこともあった。

3年目~4年目

  • アクセス数が今の水準まで来たあたりから記事広告の相談が来るようになる。直接問い合わせが来るものもあれば、紹介でくるものもあり、来た案件は全部やった。
  • さすがに3,4年もやると自分のキャパシティが把握できるようになり、同時にキャパオーバーになり心身共に余裕がなくなる。なんでもかんでも同時並行で手をつけるのではなく、時期に応じて注力すべき方面にリソースを割き、それ以外は極力パートナーに頼むことで、なんとかバランスをとっていた。ある週は営業、ある週は編集、ある週は社内担当といった感じで。
  • この頃から工作企画で実力のあるクリエイターさんたちとの縁がうまれ、定期的に記事が出せるようになり、PR企画やイベントなどに展開できるようになった。
  • 会社の方針でマネタイズを目指し急成長するというモードから、会社のブランディングに重きを置いて、そこそこの成長でいいというモードになる。これからの人生を考えた時、外に出ることも一つの選択肢だと考え始めた。

と書いてみると、1人で仕事しているようにしか見えないのですが、実際には社内の同僚や上司には私が苦手としている政治的な部分で常に助けられましたし、一緒に仕事ができた編集者、ライター、広告主や協力会社の皆様には感謝しかありません。

そんなこんなで4年が経ち、いろんな人の生き方・働き方に触れていくにつれ、「自分のやりたいことは今の会社にいなくてもできるし、むしろ会社の枠組みに関係なく取り組むべきことがたくさんあるな」という結論に至り、会社を辞めました。

この先どうなるかは自分次第でなんとでもなるような気がするけど、自分自身と、世の中の新しい可能性を見つけたいと思います。

追記(2021年1月)
その後もfabcrossは独立後も編集として関わっていて、サイトは順調に成長しています。
振り返ってみて、このときの4年間が自分の人生のターニングポイントだったと思います。

*1:厳密には子会社メイテックネクストからの出向。トータルでは6年半いたことになります。